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なぜ文化研究に哲学が必要か

同人誌『アレ vol.1』の「アニメ批評の中心地より」の節にて、シノハラさんが「批評には抽象化=哲学的な思考が必要だ」と述べていた気がする。いや、必要とまでは言ってはいないかもしれない。 しかしどちらにせよ、このことは文化研究にとって一番必要なことではないだろうかと私は思う。

西洋中心主義=文化的ヘゲモニーを乗り越える術は文化に対する観察言説の抽象化にあるのである。 なぜならば、観察言説の抽象化は自文化中心主義を乗り越えなくてはありえないからだ。 自身の属する文化を普遍的なものと見なす視点は、未だ文化の具象的事象に拘泥しているのであって、それは普遍を志向する哲学的洞察とは言えないのである。 個々の文化事象の異同を見極め、普遍と差異を摘出する営みは、西洋的ヘゲモニーへの対抗策となりうる。 逆説的ではあるが、哲学的洞察は、間文化範疇的=比較文化的視点なくしてはありえない。 哲学的言説を用いているだけでは、それは哲学的な営みではない。