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哲学の大学院生にはWikipedia記事を翻訳する道徳的義務がある

主張は表題の通りである。

論理は非常に単純だ。Littmann (2014) によれば、公に向けて哲学を書くことは道徳的義務であるからである。それに加えて言語的不正義に関する理由もある。大規模言語モデルがウェブ上の言語資源を反映しているのだとすれば、言語的不正義を抑制するために、準専門家である人文系の大学院生が正しい日本語訳を行うことは道徳的義務である。Claude Opus に正しい訳を出力させるためには、それに食わせるための規範的な日本語訳をウェブ上に置く必要がある。それが Wikipedia 日本語版 である。

というわけで、哲学の院生には日本語のウィキペディアを(主に英語の記事から)訳してほしい。Portal:哲学 - Wikipedia には、訳されることが望まれている記事が載っているので、それらを訳すことができればよいと思う。とくに心の哲学や科学の哲学、言語の哲学の記事は、日本語の文献を引いて作ったというような低品質の記事が多いので、きちんとしている人が訳してほしいと思う。このようなことも哲学の立派なアウトリーチ活動の一つであるだろう。

Reference

  • Littmann, Greg (2014). Writing Philosophy for the Public is a Moral Obligation. Essays in Philosophy 15 (1):103-116.
  • Helm, P., Bella, G., Koch, G., & Giunchiglia, F. (2024年). Diversity and language technology: How language modeling bias causes epistemic injustice. Ethics and Information Technology, 26(1), 8. https://doi.org/10.1007/s10676-023-09742-6

なぜ哲学は大学に属していなければできないのか

タイトルはややミスリーディングである。哲学をすることじたい(観想であれ、何であれ)は、大学に属していなくても行うことができるからだ。

ここで言いたいのはそういうことではなく、哲学の論文を書くことが大学に属していなければ難しいと言っているのである。哲学の論文を書くためには、引用元や議論の端緒とするための論文を読まなければならない。たとえば、Synthese や Philosophy Compass である。さらに、論文媒体でなくとも、書籍も読まなくてはならない(だが、書籍についてはそこまで気にする必要がないかもしれない)。これらの文献は、一般人が入手することができるものではない。なぜなら、あまりにも高額であるためだ。論文1本に数千円はざらであり、書籍に至っては1冊数万円の世界である。私たちは、これらを利用するために、大学という共同体に属し、アクセスのための費用を国などの機関と分担しているのである。

大学によっては、卒業後も論文にアクセス権を与えてくれる大学もあるかもしれない。だがそうだとしても、大学に属していることは当然のこととされているのである。そのため、大学に属していない独立研究者が優れた研究を行うことは、制度上困難である。これを良いことと捉えるか否かはまったく分からないが、少なくとも、ジャーナルが求める規準の論文を書くためには、大きな足枷であることは間違いがない。

大学に属しているということは、本人の個人的能力以上に、それだけの社会的な下駄を履かせてもらっているということなのである。

読書メーターからZoteroに文献(書籍)管理を移した

読書メーター(bookmeter)は、ベクトル階級(vectorial class)である角川の資本下にあり、データの可搬性が低いことで知られている読書管理サービスである*1。APIも一般に公開されていないため、ブラウザでスクレイピングすることでしか自分の読書データを取得することができない。これは goodreads のようなサービスとは対比的である。

というわけで、読書メーターから読書記録を取ってきて、本の文献情報はZoteroに入れることにした。この記事はその記録である。

1. Bookmeter → CSV (ISBN 10 + ASIN)

github.com

この Python スクリプトを使って、CSV (ISBN 10 + ASIN) に変換する。なお、自分の macOS Tahoe 環境では chromedriver-binary が動かなかったため、setup.cfg の chromedriver-binary はあらかじめ抜いておく。抜いておいても、動いた(が、chromedriver-binary に詳しい人は「うん」とは言わないかもしれない)。

2. ASIN → ISBN

Zotero は ASIN を読み取れないため、ASIN を ISBN 13 に変換する。しかし ASIN と ISBN は一対一対応していないため、Claude にやってもらう。Open Library API は ASIN と ISBN の対応を提供してくれるらしい。

3. 変換したISBNたちをZoteroに入れる

Zotero API から POST すると、「Add by Identifier」によるインポート(自動で書誌情報を取ってきてくれる)が使えないため、以下のようにISBNの列をconcatnateする。

9xxxxxxxxxx;9xxxxxxxxx;...

そしてこの文字列を「Add by Identifier」に突っ込むと、よしなに文献を追加してくれる。

おわりに

とはいえ、読書は人と人が繋がるための機会を創出するという機能もあるので、読書メータはやめない。しかも、どうやら書誌情報がけっこう書籍によってバラバラだったりする(「The MIT Press」と「MIT Press」など)。だから、併用する形で運用したいと思う。

Zotero はオープンソースである。

*1:「では、はてなブログは?」という声もありそうだが、営業利益が5,000万円ほどの企業にベクトル階級の名を与えることは筋がよいとは思われない。

注意スキーマ理論は美樹さやかを救うか? —『魔法少女まどか☆マギカ』から入門する意識の哲学—

1. はじめに

「魔法少女まどか☆マギカ」は、2011 年に放送されたテレビアニメである。本作は、魔法少女というジャンルのアニメーション作品を、新たな視点から描き、従来の概念を覆す斬新な解釈を提示したことで多くのファンを魅了した。本稿では、この作品を通じて、意識の哲学について考察する。

本論文の中心となるのは、主要キャラクターの一人である美樹さやかである。さやかは、魔法少女となることを選択したが、その結果、彼女の身体は実質的に「ゾンビ」(死者)となってしまう。この状況は、彼女の自己認識と、上条恭介への恋心との間に深刻な葛藤を生み出す。さやかの経験は、意識と身体、そして自己同一性に関する哲学的問題を鮮明に浮かび上がらせる。

しかし、注意スキーマ理論は、この状況に対して新たな視点を提供する可能性がある。この理論によれば、注意の配分と処理が意識を生み出すための十分条件となる。つまり、物理的な生命や通常の意味での「生きている」状態が、必ずしも意識の存在に不可欠ではないという可能性が示唆されるのだ。

本稿では、この理論的枠組みを用いて、さやかの状況を再解釈することを試みる。彼女の「ゾンビ」としての状態は、従来の意味での生命を失ったことを意味するかもしれない。しかし、注意スキーマ理論の観点からは、さやかが適切な形で注意を向け、情報を処理する能力を保持している限り、彼女の意識と自己同一性は維持される可能性がある。

この考察は、単に物語の一キャラクターの運命を論じるだけでなく、より広い哲学的含意を持つ。意識とは何か、自己同一性はどのように維持されるのか、そして「生きている」ということの本質とは何か。これらの問いは、現代の意識の哲学における中心的なテーマと密接に関連している。

本論文の目的は、「魔法少女まどか☆マギカ」という作品、特に美樹さやかの物語を通じて、これらの哲学的問題に新たな光を当てることにある。同時に、注意スキーマ理論という現代の哲学的アプローチが、フィクションの世界で提起された問題にどのように適用できるかを示す。

以下、本論では美樹さやかの経験を詳細に分析し、注意スキーマ理論の枠組みを用いて彼女の意識の状態を考察する。そして最後に、この分析が現実世界における意識の問題や、生命倫理の議論にどのような示唆を与えるかについて論じる。

このアプローチを通じて、アニメーションという創造的媒体が提供する豊かな想像力の世界が、現実の哲学的問題に対する新たな視点と洞察をもたらすことを示したい。


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