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LLMの誤訳はあなたの怠慢のせいでもある:Wiktionaryに専門家が訳語を追加すべき理由

(Google Mapsで店のリンクを開きながら)「開店時間が誤っている。Googleさんしっかりしてくれ!」
知人の言葉

はじめに

LLMs(Large Language Models)は機械翻訳(MT; Machine Translation)として使うことができる。たとえば、OpenAIのChatGPTに論文のPDFをアップロードし、翻訳を要求するプロンプトを投入すれば、それなりの訳文が返ってくるし、GoogleのNotebookLMに外国語の学術資料を投入すれば、日本語でその内容を返却してくれる。一定数の研究者はすでに、LLMを機械翻訳機として使っているに違いない。

しかしこのLLMは、しばしば誤訳する。専門用語を間違える。たとえば「realism」を「現実主義」と訳してしまう(正しくは「実在論」)。「inflationism」を「膨張主義」と訳してしまう(正しくは「インフレ主義」)。「Cartesian dualism」を「カルテジアン二元論」と訳してしまう(正しくは「デカルト的二元論」)。「foundationalism」を「基礎主義」と訳してしまう(正しくは「基礎付け主義」)。「idealism」を「理想主義」と訳してしまう。このように、今のLLMは専門家にとって望ましくないような誤訳をしてしまうことがある。そしてLLMは、その誤訳のために、専門家からその翻訳能力について疑問を付されることがある(「まだ、自分の分野の専門用語はダメダメだなぁ」)。

以下では、この論理の欠陥を指摘し、LLMの誤訳が部分的に専門家の怠慢に責任を負うことを論証する。より具体的には、特定のアーキテクチャを持つ対話型大規模言語モデルの誤訳は、専門家が規範的な訳語をオープンコンテントシステムであるWiktionaryに掲載することによって修正されうると主張する。

LLMによる誤訳が発生する理由

まず、LLMによる誤訳が発生する理由を確認しよう。LLMの出力は、訓練データとポスト訓練(強化学習)に因果的に随伴している。たとえば「リンゴは青色である」という訓練データを用いて訓練したLLMは、「リンゴの色は?」というユーザの質問に対して「青色です」と答えるようになるだろう。この例が示すように、LLMの出力は訓練データの関数であると言うことができる。

LLMの誤訳という論点にとって重要であるのが、学習における特定のデータの重み付けである。GeminiやLlama、GPT-4といった一般的なモデルは、その学習において、高品質なデータとされるウィキペディアのデータに重み付けを行っていることが知られている (Brazilekほか, 2026年) 。ウィキペディア上のテキストデータは、これら対話型LLMの出力に対して大きな影響を持っているのである。

規範的な形にウィキペディアの記事を編集することが、誤訳を防ぐために効果的である。たとえば、Truthmaker theory - Wikipedia を「真にするものの理論」として訳した記事を ja.wp に投稿すれば、LLM も「truthmaker」を「真にするもの」として翻訳する可能性が高くなるだろう*1。「ポール・サガード」という題名のja記事を Paul Thagard - Wikipedia に言語間リンクで結びつければ、固有名詞の翻訳に弱いLLMも、「Paul Thagard」を正しく「ポール・サガード」と訳してくれる確率が高くなるだろう*2。このように、ウィキペディアの日本語記事を正しく編集することが、そのデータに重み付けしているLLMの出力の正しさを向上させる確率を上昇させることに繋がるのだ。

Wiktionary

Wiktionary とは、ウィキペディアの辞書版である。ウィキペディアとは異なり、用語の訳語を細かく指定できる。ウィキペディアと同じくWiktionaryもまた、LLMの訓練時において価値的に重み付けされているだろう。したがって、Wiktionaryの正しい編集が、LLMの翻訳の正しさを向上させることに繋がると言うことができるだろう。じっさい私は、LLMに文献の翻訳をさせるなかで、「Brandom」を「ブランドン」と訳したり(正しくは「ブランダム」)、「property」を「特性」(「特性」と言うと、「このもの性」(haecceitas)との混同が起きるように思われるため、「性質」という訳のほうが好ましいと私は考える)*3と誤訳してしまう事例を見かけてきた。これらの誤訳は、Brandom - Wiktionary, the free dictionaryproperty - Wiktionary, the free dictionary に正しい日本語訳が掲載されていないことに起因すると思われる(「property」については、Translation節において「属性」「特性」「特徴」という訳語が掲載されており、LLMはその訳に引っ張られているのだと思われる)。逆手に取れば、これらの訳を正しい形に修正することによって、LLMの翻訳の質を高めることに繋げることができる。Wiktionaryはオープンコンテンツプラットフォームであるため、情報環境に恵まれている限り、誰でも編集することができる*4補遺において、用語の訳を追加する方法を説明する)。

LLMの訳がWiktionaryのTranslateデータに影響されることを示した図

専門家の責任と用語翻訳に関する移譲主義

しばしば人文系の専門家は、LLMの仕組みに関する無知(ignorance)から、LLMの誤訳の責任がLLMの開発企業(OpenAIやGoogle、Anthropic)にのみ帰属されうると誤って推論してしまうことがある。たしかにその推論は、一定程度正当化できるように思われる(論証略)。しかしながら先述したように、LLMの出力はそのアーキテクチャだけではなく、訓練データや強化学習時に与えるデータに対しても随伴(supervene)しているのである。そして、その訓練データは公共的である場合がありうる。したがって、公共的であるWiktionaryに専門用語の規範的な訳を提供しないことは、LLMの誤訳を帰結しうると言うことができる*5。LLMの誤訳がLLM開発企業やそのアーキテクチャに起因すると述べることは、あたかもGoogle Mapsのユーザ生成情報の誤りの責任をGoogleに帰責してしまう誤謬に似ている。Google Mapsに掲載されたメタデータは、ユーザによって投稿された民間的(folk)なものにすぎないからだ。

LLM翻訳において、専門家が専門用語の訳語において規範的であるということを、用語翻訳に関する移譲主義(deferentialism on terminological translation)と呼ぶことにしよう。これは意味論的移譲主義(semantic deferentialism、(Burge, 1979年; Putnam, 1975年))を、用語翻訳に焦点化した概念である。LLMは通常の話者とは異なり、意味論的に移譲された存在である (Borg, 2025年) 。したがって、専門用語の訳語の規範性もまた専門家に移譲されている。この移譲は、訓練時におけるWiktionaryやウィキペディアに由来するデータを価値的に重み付けするというLLMのアーキテクチャによって成立している。

おわりに

本稿では、LLMにおける専門用語の誤訳の責任が部分的に、正しい専門用語の訳をWiktionaryに掲載しないという専門家の怠慢によるものであると言いうる可能性があると論じた。そして、用語翻訳に関する移譲主義という立場が、LLMにおける専門用語の翻訳について記述的であることも論じた。この概念は、LLMの誤訳が発生するメカニズムに対する理解を易しくし、また誤訳の軽減のための方法が存在することを示すことにも寄与するであろう。

免責事項

本論における「LLMの誤訳は、専門家であるあなたの怠慢にも起因する」という核となる主張を論証するためには、責任(responsibility)と不作為因果(negative causation)の間に関する特定の論証を示す必要がある。しかし、ここではそれを行っていない。

補遺

補遺では、Wiktionary上で訳語を項目に追加する方法について画像付きで説明する。例として「Being-in-itself」(即自存在)を取る。

  1. being-in-itself - Wiktionary, the free dictionary にアクセスする*6

  2. タブの「編集」をクリックし、https://en.wiktionary.org/w/index.php?title=being-in-itself&action=edit にアクセスする(右上の「言語を追加」ではない)。

  3. Translation 節を追加し、{{Trans-top|bottom}} 要素を追加する*7。glossも記入する*8

    例:

     ====Translations====
     {{trans-top|self-contained and fully realized being or existence of objects}}
     * Japanese: {{t|ja|即自存在|tr=sokuji sonzai}}
     {{trans-bottom}}
    
  4. 編集内容の要約(例:「add translation section」など)を記入し、変更を公開する。

    もし既に Translation 節が存在する場合には、MediaWiki:Gadget-TranslationAdder.js を使えば GUI で訳語を追加することができる。

参考文献

Brazilek, J., Navas, M., & Gnauck, A. (2026年). Small edits, large models: How Wikipedia advocacy shapes LLM values. https://arxiv.org/abs/2606.24890

Borg, E. (2025年). LLMs, Turing tests and Chinese rooms: The prospects for meaning in large language models. Inquiry, 1–31. https://doi.org/10.1080/0020174X.2024.2446241

Burge, T. (1979年). Individualism and the Mental. Midwest Studies in Philosophy, 4(1), 73–121. https://doi.org/10.1111/j.1475-4975.1979.tb00374.x

Putnam, H. (1975年). The Meaning of “Meaning”. K. Gunderson (編), Language, Mind and Knowledge (巻 7, ページ 131–193). University of Minnesota Press.

秋葉剛史著. & 秋葉剛史. (2014年). 真理から存在へ: <真にするもの>の形而上学. 春秋社.

*1:「truthmaker」の「真理制作者」という訳も存在する。たとえば、https://www.u.tsukuba.ac.jp/~hashimoto.kouji.fu/paper/Reexamination.html。専門家移譲主義(deferentialism)という立場からすると、「真理制作者」という訳もまた規範的である。「真にするものの理論」という訳は、(秋葉剛史著. & 秋葉剛史., 2014年) による。

*2:現在のLLMが固有名の翻訳に弱い理由は、トークン化のメカニズムが理由であると思われる。たとえば、BBPEと呼ばれる手法においては、個々のASCII文字がそのままベクトル化されるわけではない。BBPEは合成性原理を仮定したトークン化手法であるため、形態素のような合成的な要素には有用でも、人名のような固有名の場合には望ましくはないトークン化を行ってしまう場合があると思われる。

*3:ja.wp の記事 性質) には「性質(せいしつ、英: property)」という記述があるにもかかわらず、LLMが「property」を「特性」と訳してしまうのは、Wiktionaryの対訳を優先しているからだと思われる。

*4:immersive translateReadable のように、プロンプトにおいて規範的な訳語を注入するという方法を取るアーキテクチャも存在する。しかし、推論過程においてしばしばそのプロンプトは無視される。

*5:海賊主義の立場から、シャドウライブラリに和書をアップロードすることによって正しい用語翻訳を可能にするという戦略もありうる。そして、その戦略は道徳的に正当化されうるかもしれない。しかしこの議論においては、電子化における洋書と和書の間の達成度の違いを考慮する必要があるように思われる。和書は洋書は比べて電子化が進んでいない。たとえば、春秋社の「現代哲学への招待」シリーズに属する23冊のうち、電子化されているのはストラウド『君はいま夢を見ていないとどうして言えるのか:哲学的懐疑論の意義(新装版)』しか存在しない。したがって、書籍をシャドウライブラリにアップロードするための難易度が和書のほうが高いと言える。また、海賊主義を実行することは法的にも心理的にも負担が大きい。したがって、この戦略は超義務(supererogation)であると言いえてしまうかもしれない。また、Anthropicが訓練データ用に大量の紙の本を裁断しているという報道が存在するが(https://arstechnica.com/ai/2025/06/anthropic-destroyed-millions-of-print-books-to-build-its-ai-models/)、裁断された本の中に和書を入れることが倫理的でありうるのかについても定かではない。

*6:https://ja.wiktionary.org/wiki/being-in-itself ではない。日本語版Wiktionaryは英語版Wiktionaryと関係がなく、言語間リンクによって項目どうしが繋がることもない。

*7:ただし、見出し順にもルールが存在する: WT:ELE。編集時にこのことに注意しないと、編集が差し戻しされる可能性がある。

*8:https://en.wiktionary.org/wiki/Help:Glosses 。ここでは「self-contained and fully realized being or existence of objects」とした。

Oliveを契約し、ことら送金に対応していない銀行口座に無料で送金する

前提

ゆうちょ銀行、イオン銀行の口座を持っている。

問題

イオン系列のクレジットカードの月末の請求に対応するためには、月末までにイオン銀行に請求金額を充填しておく必要がある。しかし、ゆうちょ銀行からイオン銀行へ振込を行おうとすると、手数料が165円掛かる。しかも、イオン銀行はことら送金(月10万円まで手数料が無料であるやつ)に対応していない。この手数料を無料にしたい。

解法

ことら送金+Oliveを使う。SMBCダイレクトのOliveは、特典として月3回の他行あて振込が無料であるため、それを使う。

  1. ゆうちょ銀行からOliveへ、請求金額をことら送金する。
  2. Olive の他行あて振込特典を用いて、Olive から請求金額をイオン銀行へ送金する。

意見

イオン銀行はことら送金に対応してほしい。

Sellars『科学と形而上学:カント的主題の変奏』メモ

セラーズの科学的実在論には不明瞭な点が多い。これを認識論的なこととして解釈すれば私の瑕疵であるということになるし、存在論的なこととして解釈すればセラーズが悪いということになるだろう。とくに数学的真理。セラーズの自然主義的カント主義において数学的命題の真理条件は、主張可能性条件(S-assertablility)条件(証明可能性条件)として与えられる。と当時に、Sellars は SM において数学における公理系の多元性についても述べている。

算術においては「より適切な(more adequate)」公理系の連鎖(series)に終わりはない。一方で、事実的命題の場合、私たちは世界に関するその真理(the truth)という理想につきまとわれている。 (SM, chap. V §55; Sellars’s emphasis)

ここでは、算術(arithmetric)と事実的命題(factual propositions)の実在性が対比されている。事実的命題は、いわゆる「the」統制的理念(パース的=極限的真理)としての科学的イメージを指向する命題群である。反対に、算術における公理系は、より適切な公理が存在するものであり、一元的な統制的理念に回収されないものとして記述されるものである(ように思われる)。

これは何を意味しているのだろうか。別の箇所では、数学と物理学の関係について以下のように述べている。

より深刻な反論は次のようなものである。つまり、ミクロ物理学の理論における厳密な意味での単称言明は、巨視的力学の質点や瞬間的出来事が理想的対象であるのと同じ意味において、「理想的対象」に関するものになるであろうという反論だ。しかし、質点の場合とは異なり、それらが理想化されたものとなりうるような非理想的な対応物は存在しないように思われる。したがって、時空連続体の数学が極めて巧みに操作する「理想的対象」に対して「道具主義的」な見方をとる者は、科学的実在論への道が開かれたと思われた矢先に、再び道具主義へと引き戻されることになるようだろう。この反論は、ミクロ物理学の理論における概念構造に関する深刻な問題を提起する。これらの問題は非常に複雑であり、私はそれらを直視ながら歩くことしかできない。(SM, chap. V §93)

第二章において、私は理想的(idealizing)理論と拡張的(ampliative)理論とを区別した。ミクロ物理学は拡張的理論である。しかし、それは同時に——本質的に——理想的理論でもありうるのだろうか? つまり、それは本質的に実数論と連続性の構造を伴うものなのだろうか? もしくは、ニュートンやアインシュタインの理想化されたマクロ力学に対して有限差分の力学が立つような関係として、解析学のあらゆる資源を利用する枠組みに対して立つような「有限主義的(finitist)」なミクロ理論が、原理的に定式化され得ると考えられるだろうか。この点に関して何か有益なことが言えればよいのだが、私に言えるのは、そのようなミクロ物理学の可能性は科学的実在論の不可避な含意であるように思われるということだけである。これが「有限主義」の「超越論的」な演繹に見えるのであれば、この問題が経験的なものではないと考えているのは、私一人ではないと弁明するほかない。 (SM, chap. V §94)

いまいちはっきりしない。有限主義的なミクロ物理学もありうるし、連続的なミクロ物理学もありうる、と言っているようにしか読めない。

物理学と(プラトン的)数学の関係は、不可欠性論証が有名である。単純なバージョンの不可欠性論証が言っているのは、科学的説明(傍点)が現在上手く行っている以上、その科学を支えている数学的命題の真理性は正当化されているということである(科学がこんなにうまく行ってるのに、その科学を支えている数学的命題を虚偽として考えるのは気が狂っている!)。不可欠性論証はセラーズにも当てはまるのだろうか? そもそも科学的実在論(scientia mensura)を取っている以上、正当化は要らないというように考えているのだろうか。

【弁明】なぜ mechanical interpretability を内部機序解釈可能性と訳すべきではないか

この記事を書くかどうかにはじゃっかんの躊躇があるのだが、とりあえずはてなブログの記事として提出しておけば、いちおうは批判可能な形になると思い公開することにした。というわけで、この記事は弁明の記事である。たいへん申し訳ございませんでした。もし納得が行かない点があれば、自由に本記事を引用してボコボコにしてくださって構いません。

弁明

mechanical interpretability(MI)とは、計算言語学・自然言語処理における概念であり、たとえば大規模言語モデルの内部パラメータを人間にとって理解可能な形でデコードするような研究を指す。問題はこの mechanical interpretability という英熟語の訳である。

mechanical interpretabilityにおける mechanical は、おそらくは mechanism(機序)という語の形容詞形である。それゆえ、「メカニズム的解釈可能性」や「機序的解釈可能性」であれば、一応は原義に沿った形での訳となるであろう。

しかしここで訳の妥当性を考えるにあたって重要なのは、じっさいに MI がどのような 意味論的前提 を取っているかということである。たとえば、有名な「王+女性=女王+男性」という Mikolov et al. (2017) の語埋め込み空間の研究*1や次元圧縮手法による研究、スパース・オートエンコーダによって解釈可能な形で空間を析出させる研究、線形表象仮説(非ユークリッド空間でも可)を見てみよう。これらの研究において前提されているのは、世界と内部空間との同型性である。たとえば、概念カテゴリの階層が埋め込み空間における線形代数的な構造に反映されているのだとしよう。このとき、概念カテゴリの階層の真偽をグラウンディングしているのは、他ならぬ世界側におけるカテゴリ構造のあり方である。たとえば、猫ベクトルが哺乳類ベクトルに直交するという埋め込み空間の構造が真である(もしくはaccurateである)のは、世界側において猫が哺乳類に含まれているからである。世界側の構造が適当であり、何でもありだったら、そもそも解釈可能性という研究が成り立たないであろう。つまり、世界と表象側の同型という意味論的前提がmachanical interpretability研究の前提にあるのだ*2

一般に、大規模言語モデルにおける表象という概念については、内在的(推論的)側面と外在的(意味論的)側面に分けることができる*3。基本的に MI の研究は、意味論的側面を前提としているように思われる。たとえば「王+女性=女王+男性」は、明らかに意味論的・外在主義的な立場を示している。この平行四辺形が埋め込み空間に現れることの凄さそれじたいは、頭の中だけに依存しているわけではないだろう。

それゆえ、mechanical interpretabilityを「内部機序解釈可能性」と訳してしまうと、上に述べたような MI という研究プログラムの意味論的外在主義的側面が見えにくくなってしまうのだ。Cappelen (2026) も、計算言語学・自然言語処理研究における内在主義的な傾向を指摘している*4。Cappelen が言う通り、この傾向は社会学的要因によるものかもしれない。しかしその要因は、その研究プログラムが内在的であるかどうかを定めるものではない。

最後に展望を述べたいと思う。じっさいには、「mechanical interpretability研究が世界と埋め込み空間の間の同型性を証明した」というときに意味されているのは、世界がそもそも概念化されているというヘーゲル的な立場の正当化ではないかと考える(物理主義的・素朴実在論的な研究プログラムの伝統に反して)。なぜ原子や分子の塊でしかない世界と「王+女性=女王+男性」が同型である、というようなことがありうるのか? この問いに答えるために必要なのは、近視眼的ではない哲学的な探究であると言えるだろう。 

*1:Mikolov, T., Chen, K., Corrado, G., & Dean, J. (2013年). Efficient Estimation of Word Representations in Vector Space (版 3). arXiv. https://doi.org/10.48550/ARXIV.1301.3781

*2:たとえば、科学的モデルの表象的解釈については次の前半部を参照:Nguyen, J., & Frigg, R. (2022年). Scientific representation. Cambridge University Press. もしかすれば、本書の主張のようにMIを推論主義的アプローチに移行することも可能かもしれない。

*3:Søgaard, A. (2025年). Do Language Models Have Semantics? On the Five Standard Positions. W. Che, J. Nabende, E. Shutova, & M. T. Pilehvar (編), Proceedings of the 63rd Annual Meeting of the Association for Computational Linguistics (Volume 1: Long Papers) (ページ 25910–25922). Association for Computational Linguistics. https://doi.org/10.18653/v1/2025.acl-long.1258

*4:Cappelen, Herman & Dever, Josh (forthcoming). A Hyper-Externalist Manifesto for LLMs. In Herman Cappelen & Rachel Sterken, Communicating with AI: Philosophical Perspectives. Oxford: Oxford University Press. しかし驚くべきなのは、Cappelen自身が MI を内在主義的であると誤認していることだ。本記事で述べた通り、MIは内在主義的前提を共有していない。

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