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注意スキーマ理論は美樹さやかを救うか? —『魔法少女まどか☆マギカ』から入門する意識の哲学—

1. はじめに

「魔法少女まどか☆マギカ」は、2011 年に放送されたテレビアニメである。本作は、魔法少女というジャンルのアニメーション作品を、新たな視点から描き、従来の概念を覆す斬新な解釈を提示したことで多くのファンを魅了した。本稿では、この作品を通じて、意識の哲学について考察する。

本論文の中心となるのは、主要キャラクターの一人である美樹さやかである。さやかは、魔法少女となることを選択したが、その結果、彼女の身体は実質的に「ゾンビ」(死者)となってしまう。この状況は、彼女の自己認識と、上条恭介への恋心との間に深刻な葛藤を生み出す。さやかの経験は、意識と身体、そして自己同一性に関する哲学的問題を鮮明に浮かび上がらせる。

しかし、注意スキーマ理論は、この状況に対して新たな視点を提供する可能性がある。この理論によれば、注意の配分と処理が意識を生み出すための十分条件となる。つまり、物理的な生命や通常の意味での「生きている」状態が、必ずしも意識の存在に不可欠ではないという可能性が示唆されるのだ。

本稿では、この理論的枠組みを用いて、さやかの状況を再解釈することを試みる。彼女の「ゾンビ」としての状態は、従来の意味での生命を失ったことを意味するかもしれない。しかし、注意スキーマ理論の観点からは、さやかが適切な形で注意を向け、情報を処理する能力を保持している限り、彼女の意識と自己同一性は維持される可能性がある。

この考察は、単に物語の一キャラクターの運命を論じるだけでなく、より広い哲学的含意を持つ。意識とは何か、自己同一性はどのように維持されるのか、そして「生きている」ということの本質とは何か。これらの問いは、現代の意識の哲学における中心的なテーマと密接に関連している。

本論文の目的は、「魔法少女まどか☆マギカ」という作品、特に美樹さやかの物語を通じて、これらの哲学的問題に新たな光を当てることにある。同時に、注意スキーマ理論という現代の哲学的アプローチが、フィクションの世界で提起された問題にどのように適用できるかを示す。

以下、本論では美樹さやかの経験を詳細に分析し、注意スキーマ理論の枠組みを用いて彼女の意識の状態を考察する。そして最後に、この分析が現実世界における意識の問題や、生命倫理の議論にどのような示唆を与えるかについて論じる。

このアプローチを通じて、アニメーションという創造的媒体が提供する豊かな想像力の世界が、現実の哲学的問題に対する新たな視点と洞察をもたらすことを示したい。


以下、有料で読むことができます (¥1,000,000,000) 。

哲学系ジャーナルの採択率について

哲学系ジャーナルの論文採択率は「狂気の低さ」であるらしい。

dailynous.com

X (旧 Twitter) で誰かが言っていた気がするが、全米哲学協会(American Philosophy Association)が運営しているサイトで、SyntheseやActa Analyticaといった哲学系ジャーナルのサーベイベースの採択率を掲載しているサイトがある。

apasurvey.philx.org

意外とはてなブログでこのサイトに言及している人がいなかったので、記事にした。

しかしおそらくAPA Surveyのほうは、出版バイアス等の影響で実際の採択率よりも数値が高く出ているような気がする。Springer Nature系の雑誌に投稿しリジェクトされると、Springer Nature Transfer Deskというセクションから、このような雑誌に再投稿してはどうかというメールが届く(Springer Nature SNAPP)。そのときに、投稿候補となるジャーナル群のそれぞれの実際の採択率を見ることができる。自分が見たところ、ほとんどの雑誌は10--20%の採択率であったので、実際のところはほとんどの論文は蹴られる(editor's kick)のだと思われる。(だから、有名雑誌に何本も通せる実力のある人はスゴい。)

Oxford A Very Short Introductionシリーズでは女性の著者の割合が増えている

Intro

Oxford A Very Short Introductionシリーズの著者における、女性の割合が増えている*1。このことは、さいきん私が同シリーズの KnowledgeMeaningArtificial Intelligence を読んだときに気付いたことだ。この3冊は分析哲学系のVSIとして比較的新しいものであるが、これらの著者はぜんいん女性なのである。

同シリーズにおけるこの女性著者の比率の最近の高さは、Cambridge University Press の Contemporary Philosophy in Focus シリーズにおける男性哲学者の比率の高さを考慮すると、有意であるように思われる*2

男性しかいない Contemporary Philosophy in Focus シリーズ

というわけで、VSIにおける年代ごとの著者のジェンダー比率を調べてみることにした。

実験設定

だいたいは Claude Cowork が勝手に実験を遂行してくれるので、私は座椅子に座っているだけでよかった。

List of Very Short Introductions books - Wikipedia によれば、VSI は 1995 年に初版が出版されて以降、2026年にいたる現在まで出版され続けているらしい。本実験では、年代別(横軸)にジェンダー比率(縦軸)を表した帯グラフを作成した*3。なお、性別カテゴリ情報の付与にあたっては、(1) Wikidata、および (2) VAIF、(3) genderize.io(情報の優先度順)を使用した。なお、genderize.io は名前の統語論的データからジェンダーを推定する機械学習モデルであるため、あくまでもその結果は推定に過ぎない。しかしながら、今回の実験では、ジェンダー推定における確信度が <0.75 となるデータは存在しなかったため、じゅうぶんに信頼性に耐えるものとして使用した。

結果

実験から得られた結果を、帯グラフとして次に示す。

Oxford Very Short Introductions シリーズにおける著者のジェンダー比の推移。赤色が女性著者、青色が男性著者である。2025年に近づくにつれて、女性著者の比率が大きくなっていることが分かる。

1995年のような特例があるものの(1995年は刊行点数自体が5冊と少ないため、この年の比率だけをもって傾向を論じるのは難しい。)、直近数年では、男女比が以前より接近していることがうかがえる。とくに2024年以降は、おおむね拮抗した比率になっているように見える。

まとめ

以上から、Oxford Very Short Introductions シリーズでは、近年、著者の男女比が以前より接近してきていることがうかがえる。もちろん、本分析だけからその背景を特定することはできない。アカデミア全体の構造変化、出版社の編集方針、分野ごとの人材構成など、複数の要因が関与している可能性があるだろう。また、本分析は男性・女性の二値カテゴリに依拠しているため、その点にも方法論上の限界があることを断っておかなければならない。とはいえ、少なくとも学術入門書シリーズの著者構成に一定の変化が生じていること自体は、興味深い観察結果であるといえるのではないだろうか。


あと、同シリーズの Feminist Philosophy は優れた入門書だったので、オススメしたいです。

*1:念の為に断っておくが、これは記述的な言明であり、言語行為論な意味における皮肉的・規範的な言明ではない。

*2:ここでは「有意差」ということばを、統計学的ではなくラフな意味で用いている。

*3:なお、本分析では利用可能なデータの制約上、著者を男性・女性の二値カテゴリで整理した。ただし、これは操作的な分類にすぎず、各著者の自己認識を直接反映するものではない。また、このような分類を望まない著者が含まれる可能性もある。

Springer系の雑誌へLaTeX論文を提出する方法

はじめに

これは自分が論文をSpringer系のとある雑誌に投稿したときのメモで(査読を通過したとは言っていない)、次回投稿するときに方法を忘れないようにするための記事である。

投稿方法

基本的に論文の原稿はLaTeXで書いているものとする。自分はローカルではLuaLaTeX + BibLeTeX (Biber) で論文を書いている。\include コマンドを使って、各章ごとにTeXファイルを分割している。

Editorial Manager

Springer系の雑誌の編集管理ソフトウェアには、Aries社のEditorial Manger (EM) というものが使われている。この EM はじゃっかん古いものであり、 \include コマンドや BibLaTeX を使うことが許されていない。BibLaTeX ではなく、BibTeX しか使うことはできない。

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