Mastodon

漢字性は D. M. Armstrong の普遍者理論においていかに説明されうるか

はじめに

倉田剛『現代存在論講義Ⅰ』を今更ながら読み始めた。『現代存在論講義Ⅱ』は読了していたが、別に読み始めた『現代普遍論争1入門』にて「クラス唯名論」なるものがあることを知り、『現代存在論講義Ⅰ』の第五章にクラス唯名論の節があるというので前編を読んでみることにした。

なお、クラス唯名論(=集合唯名論)自体は性質を実在者の集合(クラス)と等値する唯名論であるが、劣勢らしい2

『現代存在論講義Ⅱ』の第4講義にて D. M. Armstrong の普遍者理論(本書では「ミニマルな実在論」と呼ばれている)が説明されている。 その理論が含む性質の種類には、性質をそれが構成される実在者およびそれらの関係的実在に還元する《構造的性質》と呼ばれる性質があるらしい。

本記事の目的は、漢字性が構造的性質であることを示すことである。 ただし、私は Armstrong の『Nominalism and Realism: Universals and Scientific Realism』を読んだわけではない。 ただ分析的存在論の一つの理論が漢字をいかに扱うかを試して知りたいだけである。

構造的性質の定義

Armstrong によれば、構造的性質の定義は次である。

Sは構造的であるならば、Sである個別者の真部分が例化するような、Sと同一でない性質Tが存在し、かつこの事態が少なくともSにとって構成的であり、かつそのときに限る

たとえば、メタン分子(CH₄)性(=メタン分子であるという性質)は、炭素原子に例化される炭素原子性および水素原子に例化される4つの水素原子性、そしてそれらの間の4つの関係(〈炭素原子−水素原子〉という関係)に例化される関係から構成される。 極限的にはメタン分子性も、素粒子性およびそれらの関係性に還元される。

漢字性の構造

先の節に述べた構造的性質概念を用いて、〈漢字であるという性質〉を考えてみる。 ここでは漢字の例として「跼」を用いる。

「跼」であるという性質を構造的性質と措定すると、次のような分解が見られることになる。 以下に挙げる実在者はすべて個別的であり、紙や液晶ディスプレイに映し出されたしるし(「跼(これ自体)」)である。

  • 「足」
  • 「局」
  • 「足」が「局」を旁として、「局」が「足」を偏としてある関係3(連言的性質)

そしてそれぞれが例化する〈「足」〉性と〈「局」〉性、〈「足」が「局」を旁として、「局」が「足」を偏としてある関係〉性から構成される普遍的性質が「跼」性である。(「局」性を「口」性および「尺」性、それらの関係性に分解することも可能であろう。)

このようにして、個々の漢字の漢字性はArmstrongの普遍的性質(ミニマルな実在論)において構造的性質として説明される。

例化・後経験・因果的力能の原理

例化原理および後経験原理、因果的力能の原理とは、ある述語が性質であるために満たすべき条件である。 ここでは、漢字性が例化原理および後経験原理、因果的力能の原理をそれぞれ満たすかを検証する。

例化原理とは、「すべての性質Fについて、Fを例化するxが存在する」という命題である。 漢字性は例化原理を満たすだろう。なぜならば、しるしとして書かれない(表示されない)漢字は存在しない漢字として扱われるからである。 後経験原理については、ある漢字性(たとえば「跼」性)がどの対象に適合するかは後経験的に定まるものであり、前経験的に定まるものではないだろう。したがって、漢字性は後経験的原理を満たす。 因果的力能の原理については、あるインクの染みなり液晶ディスプレイの画素の行列なりが漢字性を帯びることにより、記号としての力能を獲得すると考えられる。したがって、漢字性は因果的力能の原理を満たす。

ゆえに漢字性は性質であるといえるだろう。

まとめ

本記事では、漢字と分析的存在論の理論(Armstrong の普遍者理論のみではあるが)がつながることを示すことができた。 漢字には、個々の偏や旁といった部分に分解可能であるものの、それら部分の総和と全体としての字が非等価であるという特徴がある。 このような記号論的=構造的な考察となる対象が分析哲学とつながることは興味深いことではないだろうか4


  1. なぜ我々は「諍」という字を持ちながら「論争」を「論諍」と記さないのだろうか
  2. 数学においてクラスと集合は異なるものだが、Armstrongは哲学的伝統を優先するらしい。
  3. 漢字の構造を記述する方法には、⑴ 偏旁冠脚のような部分−全体的な相対的位置を表すものと、 ⑵ 漢字構成記述文字(たとえば、「⿰」(Unicode文字名:Ideographic description character left to right))のような全体的位置を表すものがある
  4. 漢字の数だけ漢字性が存在することになるので、理論的に美徳ではないかもしれない