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笹原宏之『方言漢字』で日本紀行しよう

はじめに

国語学者笹原宏之と共に全国の方言漢字を探す随筆。 本書は、2013年に角川書店より刊行された『方言漢字』(角川選書)に加筆し、文庫化したものである。 2020年7月に刊行された。 三省堂書店のウェブサイトに300本ほど連載された『漢字の現在』を基にしている。

大袈裟ではあるが、地域の漢字は標準的な漢字世界を異化する効果があるとは思う。 現にトマソンのような例があるし。

第 1 章 漢字と風土

漢字の起源として、半坡仰韶文化と大汶口文化の合流説などが挙げられる。 また、地域漢字の様態には字種や字体、字音、字訓、字義・用法、熟語・文字列などがある。

本章に挙げられる例があまりにも充実しているため、本章のみでも十分かもしれない。 (学術的には本章が肝であり、以降の章は随筆の感がある。)

第 2 章 北海道・東北の漢字から

著者は方言漢字にも周圏分布がありそうだと指摘する。

記号論の観点から〈𠏹沢ほとけさわ〉の〈𠏹ほとけ〉は、西国=仏と推論できる形で共示的な作用を含む漢字記号だと私は思った。

第 3 章 関東の漢字から

埼玉県の大岾

著者によれば、大岾おおはけの〈はけ〉は「いわゆる削意文字」らしい。 著者は削意文字の内包的定義を示していないので、あえて私がそれを書こうと思う。

削意文字

削意文字または削意漢字とは、義を表現する形の部分を削ることにより、音の変化に伴う義の変化を形に反映した漢字である。

例:〈岾〉は〈岵〉の削意漢字である。〈岾〉の音[ハゲ]が[ハケ]に変化するに伴いその義が旁〈古〉に整合しなくなったため〈占〉に削られた。

〈嵃〉や〈兀〉・〈屼〉、〈𡋽〉なども[はけ]と読むらしい(〈峐〉のみ[はげ])。

左馬

料亭などでよく見かける〈馬〉が左右反転して彫られた大きな将棋の駒は天童名物の〈左馬〉というらしい。

第 4 章 中部の漢字から

俳優の笠智衆の名は本名らしい1

山梨県

大垈おおぬた〉の〈ぬた〉は国事で、〈岱〉とも書く。 著者はこれを〈代〉[た]からの形声文字と推測する。 四国では〈汢〉と会意文字であるらしい。

著者は、昇仙峡や長潭橋、仙娥滝、猊鼻渓などの地名は漢学者や神主が付けたものであると推測する。 確かに私も各地の難しい地名が誰に付けられたものなのかがよく気になるが、漢学者くらいの知識人が昔は命名者だったかもしれない。

薬袋みない月出ひたちという名字。 上九一色村はカッコいい。

ja.wikipedia.org

三河

大嵐おおぞれ〉、〈杁〉の〈えぶり〉による代用、〈長湫ながくて〉(〈湫〉は漢字検定1級配当)。

中京圏

廻間はざま〉。 個人的に文中に〈見せ消ち〉が出現して驚いた。 〈2娘1にこいち〉のようなギャル語も登場する。

第 5 章 中部の漢字から

一口いもあらい〉や〈天使突抜てんしつきぬけ〉、〈樫原かたぎはら〉、〈椥辻なぎつじ〉、〈先斗町ぼんとちょう〉、〈椣原しではら〉。 変体仮名楚者そばはよく見る。

第 6 章 中国・四国の漢字から

〈隂〉や松江鼕伝承館、淞北台。 岡山の〈たわ〉、国字の〈さい〉、〈かせぎ〉。 小野梓の幼名〈𪚥一〉2。 高知のある店名〈鰹群家なぶらや〉、地名〈鵃〉から転じた〈鵈〉、〈埆〉(痩せ地)から転じた〈そね〉、〈埵〉。 〈御畳瀬みませ〉や〈咥内こうない〉、〈襟野々〉駅、福島の〈橲原じさばら〉。〈棡原ゆずりは〉は山梨の地名である。

方言の[まま]は崖を表し、〈万々〉や〈真間〉、山形では〈圸〉、相模では〈儘〉、伊豆では〈墹〉、三河では〈堹〉、伊勢では〈埵〉となるようだ。

盲心経は絵文字で描かれた心経らしい。 阿修羅像が好きな「アシュラー」という人種が存在するらしい。

commons.wikimedia.org

第 7 章 中国・四国の漢字から

大分の〈西渠にしのと〉や佐賀の〈佐賀にか〉、〈はまる〉、〈寸口垂すくたれ〉(馬鹿者の意)、地名用字の〈咾分おとなぶん〉、〈うつぼ〉(他にも〈うつぼ〉や〈うつぼ〉)、〈厳木きゅうらぎ〉、〈轟〉の略字の〈軣〉。 群馬県の〈笂井うつぼい〉、〈莇原あざみばる〉、福岡の姓〈たぶ〉、〈つる〉を派生した九州の姓〈つる〉。 沖縄の〈汳田原はんたばる〉、〈瑞慶覧ずけらん〉、〈𤘩宮城ぐしみやぎ〉。

位相文字と共通字化現象

笹原によれば、位相文字とは「特定の社会集団で使用されるような文字」であるらしい。

dictionary.sanseido-publ.co.jp

また共通字化とは「地域社会の方言が若者に受け継がれず、地域で全国共通字が浸透しつつある現象」をいうらしい。

第 8 章 方言漢字のこれから

広東文字の〈佢〉(彼)、〈冇〉(無い)、〈嚟〉(来る)、〈膥〉(卵)など。

著者は、平成の大合併によって多様な地域文字が失われた実例を数多く示し、次のように述べる。

過去に自分たちの住む土地に、自らが見いだした意味を示そうとした地名の漢字は、昨今の電算化、電子機器の普及によってその位置が確定し、認知を広げる効果をもつ反面、それらを外字として除外し、結果的に存在を否定する役割をも負った。

JIS漢字水準等の電算化による漢字の標準化が事実上の規範体制として成立し、地域のアイデンティティを醸成する側面を持つ一方、その体制が地域のアイデンティティの一翼を担う地域文字を消滅させる暴力性を持つという両面性を述べている。

あとがき

地域性豊かな漢字の表現は、今日では「常用漢字表」に代表される全国共通で標準的な漢字の表現力を基盤とするものである。そしてそれを支えているものだとも考えたい。

地域文字の多様性が標準的な文字使用に本来的に依拠していることも指摘している。

文庫版あとがき

やがては、AIが方言漢字を見つけて、まとめてくれる日が来るかもしれません。すでに技術的にはある程度まではできるのでしょう。

私も個人的に比較〇〇学はかなりAIに割り込まれると思っている。

おわりに

明石焼きや土佐ジロー、かるかん万十、皿鉢料理、好鍋、晩白柚太平燕小城羊羹など、本著で挙げられる地域食もいつか食べてみたい。

また、漢字の探索にあたってはウェブサイト 字統网 が役立つと思う。