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田中久美子『記号と再帰』こそ真の情報記号論だ!

はじめに

Semiotics 誌への寄稿論文の編集である田中久美子『記号と再帰』(東京大学出版会)を読んだ。 応用記号論という伝統を墨守した真面目な論である。 石田英敬の情報記号論に失望した人々には受けると思う(計算機科学者ではなく仏文学者がなぜ情報記号論を建設できるのかという疑問は至極当然であろう。彼の著作を読めば、その情報学の専門性の低さには絶望する)。 西垣通から推されて書いたらしいが、なんかその実情が停滞していることを表しているというか、なんかなぁという。 情報学環の内輪ということにはなってしまうのかなと。

用いられる情報科学の知識は極めて基礎的であるものの、記号論のプログラム言語への応用という著作であるため、プログラム言語論、少なくとも関数型言語手続き型言語の違いくらいは知っておかないと読めないとは思う。 プログラム言語に関する概念については非常に丁寧な解説がなされ、記号論を〈完全に理解した〉情報学系の人々にも勧めることができる。

第 1, 2 章

自然言語や絵画などの自然的な記号に対置される語 情報記号 が導入される。 (F. Saussure や)C. S. Peirceのいう 汎記号主義 は、人間の思考が離散的な記号をもとにしているという主張である。

第 3 章

基礎記号論者が二元モデル(=二元論 。仏派)と三元モデル(=三元論英米派)の差異を吸収する理論を提示していなかった(=バビロンの混乱)せいで、わざわざ応用記号論を展開しようとしている著者が両者の接合をしなければならなかったのである。

Winfried Nöth によれば、Saussure の記号内容は Peirce の解釈項に対応するらしい。 これに対して、田中は記号内容をPeirceの直接対象(Peirce によれば、対象項は心的な直接対象と外的な動的対象に二分されるらしい)に、解釈項を全体論的価値(=差異の体系)に等値する。 本章の重要な帰結は、二元論と三元論は互換であるということである。

第 4 章

ラムダ項と二元論の対比が論じられる。 チャーチによれば、再帰的関数は 不動点関数 (Yコンビネータ)と非再帰関数の結合に変換可能である。 適用範囲 (スコープ;可視域)はソシュールの社会的慣習が適用されるラングの範囲に比しうるのだろう。 また、記号の 投機的 な導入は確かに言語論的転回(=表示による意味の文節)に似ているのかもしれない。 任意のチューリング完全なプログラムの同一性判定を行うプログラムは存在しないというテーゼが、Harder の「実用論が意味論を凝結する」(=「言語には差異しか無い」)というテーゼを窺わせるという主張は狐につままれた感じがする。

第 5 章

「である」がクラスに、「する」が抽象データ型(Javaのインタフェースなど)に対応するらしい。 後続する議論とはあまり関わりがない。

第 6 章

Louis Hjelmslev の直接表示−間接表示モデル(glossematics)の適用は優れているように思う。 (このモデルの柔軟性という性質が glossematics (=言理学)の理学性を犠牲にするのだが。) しかし現代的な高級言語だとアドレス格納までの変換が非常に多く、一筋縄ではいかないように思われる。 特にトランスコンパイルはこのモデルには含まれていない(トランスコンパイルについては、第 11 章で扱われる)。

第 7 章

再帰的関数は第 4 章に述べられたチャーチの変換とカリー化によって一変数関数と不動点関数の組に変換可能である。 Peirce の普遍的範疇の各々について、一次性は式 f xx に、二次性はその f (ただし、非再帰関数である)、三次性は不動点関数の定義に比較される。 SKI コンビネータチューリング完全らしい。

第 8 章

そもそもオブジェクト指向自体が抽象−具象(=クラス−インスタンス)という存在論の中心概念を用いているので、これを話題にしない手はないだろう。 スピノザの神学においては「実体とは[中略]その概念を形成するにために他の概念を必要としないもののことである」(『エチカ』第一部・定義三)し、プラトンは、家具より描写絵画を劣等とする理由をイデアからの距離に求めているしね(にわか知識)。

田中によれば、是態(haecceitas)はクラスとインスタンス脱構築的な融合点にあるらしい。 インスタンスは評価関数による再帰的関数の中の不動点によって是態を獲得することができそうであるらしい。 それってイデアでは⁉

第 9 章

(おそらく皆が知りたがっているであろう)プログラム言語と自然言語の違いを 構成的構造的 に還元する。

第 10 章

参照透過性の確保にダイアローグ方式とモナド方式があることは知らなかった。

世界とは,ワドラーが導入した概念で,プログラムを含む外界環境を抽象的に示した全体である。 (p.195)

知らなかった。

ここで、使い捨ての記号を用意することと記号間の依存関係は空間的なものであることに注意すると、参照透明性の制約は、状態遷移に、記号の内容の変化の時間的側面を可能な限り空間的なものへ変換することであることがわかる。残った時間性こそは、情報記号の時間性の本質で、それは ⊥ から値への変化である。つまり、記号の時間性とは ⊥ から値への変化に集約される。 (p.202)

関数型プログラミング信者である私にはかなり刺さった。 関数型プログラミングは手続き的な時間的関係を宣言的な空間的関係へ変換するんですね! 私の関数型への愛が深まった。

第 11 章

開いた/閉じた系や Quine プログラムについて述べられる。 尤も本著では述べられていないが、Quine プログラムはメタ言語と対象言語を未分にする概念なのだろう。 SQLインジェクションもこの議論に含まれると思う。

以下の章については省略する。

おわりに

本書の主題である 再帰 とはなにか。 自然言語では、表示の再帰的使用が内容を凝固するということであり、情報記号(主に再帰的関数)ではチャーチ変換により得られる不動点が内容であるということであろう。

プログラム言語論の記号論への適用という観点においては秀でた著作であり、記号論とプログラム言語の両輪に関心のある読者には薦めることができる。