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阿部共実『大好きが虫はタダシくんの』

言わずと知れた名作である。 感想文は幾度となく数多の無名の著者によって書かれたであろうが、同じく無名である私も残しておきたいと思う。 『潮が舞い子が舞い』が陽の青春群像劇であるならば、本作や『空が灰色だから』、『ちーちゃんはちょっと足りない』は陰の劇である。

注意

本項は『大好きが虫はタダシくんの』に関するネタバレを含みます。

灰色

巻頭カラーページ。 自身の灰色な日々を疎む20代ほどの女性主人公がカラフルなリボンをつけて遊ぶ子どもたちを見て、自身も子ども時代に付けていたリボンを付けてみるが、鏡に写ったリボンの色は既に灰色となっていた。

乙女心

これは分かりやすい。 主人公は女子高生の色部である。 彼女がクールを気取っているときは水色で描写され、新学期に新鮮な気持ちを感じているときは緑色、好きな山科君を見つけたときは黄色、友達に恋心を指摘され恥ずかしさを感じているときは赤色で描写される。

「灰色」は「乙女心」と共に、読者が読んでいる紙上の色を、作品内の人物の感情にリンクさせる表現となっている。

ドラゴンスワロウ

野球部の強豪でありそして一話目で退部することになる、高校二年の水野燕と一年の朝倉たつみが織りなす女子高生のレズビアン的ギャグ。 いつものような阿部共実のギャグが噴出する。 つまり阿部共実の正統的作品である。

たとえば、次の画像にあるような時折挟み込まれる哲学的思索の文は、『潮が舞い子が舞い』の登場人物であるバーグマンの特徴的性格として引き継がれている。

また阿部共実は、人の眼やシャボン玉などの反射性のある球体に人物の視覚的像を投影する描写を多用する。

破壊症候群

超絶的な力をもつ結城凛が地球を侵略しようとする虫の軍団と戦う物語。 けだしこの作品は、破壊に対するフェティシズムの表象として純粋に読まれてよいのだと思う。 というより、自分はそれ以上の読解ができなかった。

あつい冬

大好きが虫はタダシくんの」と並ぶ鬱作品である。 私は本作品を単なる鬱作品だと思うから、内容は省略する。

大好きが虫はタダシくんの

収録作品内の金字塔である。 (おそらくは統合失調症となった)高校生の詩織が、中学生のときに親友であった奈緒と再会する場面を描く。

詩織は文を構成する能力を日常会話さえ覚束ないほどに失っており、奈緒の友達との合流後も通常でない=異常な発話を続けてしまう。 高校で新しくできた友人たちに対して、異常な発話を行う詩織と親友であったことを隠したいという思いが奈緒に働く。 奈緒は、詩織が中学時代の親友であったことを友人の前で否定する。

そしてひとりになった詩織はその場面を反復する。

詩織が統合失調症患者であるという解釈には否定意見もあるようだが、別にそれ自体はどうでもよいのである。 分節症的であるということだけが重要である。

奈緒も、彼女の新しい友人達も、〈ふつうの人間〉であるところが良い。 分節症患者という、いわば異形な他者を日常が排除する残酷さが良い。 唯一の交換可能なコミュニケーション貨幣である言葉を失った意志不可通な存在である真の〈他者=異形な存在〉として、詩織は表象されている。 中学から高校に上がるに従って真の〈他者〉として排除=疎外される苦しさ、それが罪のない〈ふつうの人間〉の罪に還元されえない残酷を、この作品は表象している。