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大学に入学する人に伝えたい言葉

樹木型言説のどの枝も、たえず新たな情報を生み出し、それが古い情報を〈追い越し〉ているのであって、情報が情報の上に〈溢れ出る〉ようになっている。そのために、情報が古くなるスピードはますます増大する。しかし、サイバネティクス的記憶と違って、人間の記憶はそう簡単に忘れることができない(一旦プログラミングされた情報はすぐ記憶から消せるわけではない)から、古くなってしまった情報は、たえず(リサイクリング)に努めても、人間の記憶のなかのゴミの山として残る。大学はいまや、万能人間と正反対のもの、すなわち古くなってゆく情報のおかげでますます決定能力を失う専門家を生み出している。だが、人間を(たとえばシステム分析家にするのではなく)サイバネティクス的記憶と競わせるような学校制度は、[人間がその競争に勝つ見込みがない以上]没落の運命にある。 (p.57)

筑波大学統一認証システムに自動的にログインするためのユーザスクリプトを作成した

筑波大学の情報系学生が取り組むトピックのひとつにブラウザ拡張機能がある。 そのなかでも統一認証システムの自動ログインは重要な問題であった(と思う)。

ここで詳しい歴史を述べることは控えるが、種々の開発者が自動ログイン機能を実装・公開し、大学側と軋轢を起こす事態が何度かあったらしい。 その根拠は『国立大学法人筑波大学情報セキュリティ規則』の第18条である。

第18条 職員等は、本学の情報資産に係る情報の取扱いに当たっては、情報セキュリティを確保するため、当該情報の格付けを指定しなければならない。

2 職員等は、前項の規定に基づき格付けを指定した情報について、必要に応じて、取扱制限を指定するものとする。

3 職員等は、格付け又は取扱制限を指定された情報については、その指定に従って適切に取り扱わなければならない。

すなわち、自動ログイン機能をもつ拡張機能が、情報資産である統一認証システムのユーザ名およびパスワードを不適切な形で保存するアーキテクチャを採っている場合に、前掲第18条に抵触するということである。

ユーザスクリプト

本項では、上記の情報資産に係る問題を迂回するために、 Credential Management API を用いたユーザスクリプトを提案する。 それが以下の gist である。

Automatic Login for the Unified Authentication Sy…

統一認証システムの自動ログインをしたい方はぜひ使ってください。

『東大ボカロ論』はいかに文化階級闘争を仕掛けているか

著者によって本書初頭に示されるように、鮎川ぱて『東大ボカロ論』は文化階級闘争を強く意識している。 本項では、鮎川が本書を通して文化階級闘争をどのように仕掛けているかを分析する。

著者の学校歴と書名『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』

本書の著者である鮎川は東京大学教養学部を卒業している。 また、本書の書名は『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』である。 なるほど書名については編集者の意向にも左右されることは間違いないが、結果として、著者の学校歴および本書の書名が、著者の主張の正統性を東京大学という権威の庇護下に置くことを基因する事態を窺い知ることができる。 これを約言すれば次のようになろう。 すなわち、「音楽史はボカロの権威を保証してくれないけど、東京大学という権威はボカロを救ってくれる!」のである。

純粋主義的に述べれば、この売り文句自体がボカロに背を向けていることは指摘するまでもない。

性的消費

鮎川はボカロのキャラクターの性的消費率の低さを艦これのそれと比べ、「ボカロ界の健全性」を議論の前提に敷くのだが、鮎川はボカロ界さえ助かればよいと思っているのだろうか。 この論法を採れば、(一般に性的消費が高いとされる)艦これやブルーアーカイブを論じる価値の否定を帰結するだろう。

普遍主義と差異主義

ここでフェミニズム内にある二の主義を参照してみよう。普遍主義と差異主義である。前者は男女ジェンダーの本質的な違いを縮減する方向に、差異主義は母性(女性性)を強調する方向に特徴付けられる。

文化階級闘争は、これらの普遍主義と差異主義から分析することができる。 鮎川の述べるボカロの特性(函数性=無人称性)に関する主張は差異主義的であり、性的消費の低さに関する主張は、一般のリーヴィス主義的な芸術範疇に近づくという意味で普遍主義的である。

彼はこのように普遍主義的主張と差異主義的主張の両刃を用いて、ボカロ界1の芸術界(音楽界)に対する闘争を仕掛けているのである。


  1. 「ボカロ界」の「界」は P. Bourdieu の界概念を意味する。

『[クリティカル・ワード]ポピュラー音楽』のキーワード集

キーワード

各節に付されたキーワードを示す。 ただし目次の情報は、以下のフィルムアート社のウェブサイトから取得した。

www.filmart.co.jp

著者 キーワード
ポピュラー 永冨真梨・忠聡太・日高良祐 ポピュラー音楽、ポップ(pop)、人気、音楽学民族音楽学、民衆、大衆、カルチュラル・スタディーズジェンダー、文化産業、メディア研究、プラットフォーム、レコメンド、ヒットチャート
テクノロジー 谷口文和 スピーカー、電気信号、デジタル・データ、音響再生産テクノロジー、アナログ・レコード、CD、配信、DAWボーカロイド、楽器、科学技術社会論、楽譜、シンセサイザーインターフェイス、ライヴ、録音、打ち込み
コマーシャリズムキャピタリズム 大和田俊之 商業主義、正統性、芸術音楽、民族音楽、民俗音楽、商品、流通、プロレタリアート文化、ブルジョア文化、中産階級、テオドール・W・アドルノ、反資本主義、ロック中心主義(ロッキズム)、ポップティミズム
コロニアリズム/ポストコロニアリズム 西周 植民地支配、文化ヘゲモニー接触領域、近代ツーリズム、文化進化主義、地域固有性、真正性、他者、民族音楽学ワールドミュージック、西洋中心主義、グローバル・ミュージック・ヒストリー、ヴァナキュラー音楽、脱植民地化、ポジショナリテイ、マルチヴォーカリティ、二重意識
ジェンダーセクシュアリティ 中條千晴 階級意識カール・マルクス、音楽的時間、サブカルチャー、内包された聴き手、真正性、マックス・ウェーバー、ライフスタイル、ピエール・ブルデュー、分類闘争、象徴闘争、ハビトゥス文化資本、趣味、定性調査、定量調査、音楽オムニボア、インターセクショナリティ、美的再帰性
クラス 平石貴士 フェミニズム、生物学的性差、ジェンダーバランス、不平等、性暴力連続体、男権主義、庶民性、処女性、性の商品化、戦闘美少女、母性、アイデンティティ、エージェンシー、逸脱、擬態、かわいい
レイス 鳥居裕介 人種、社会的構築物、アイデンティティミンストレル・ショー、ステレオタイプ、黒人性、白人性、文化盗用、真正性、制度的人種差別、黒人/白人二元論、戦略的反本質主義
デジタル 篠田ミル・日高良祐 ストレージ、トランスミッション、プロセッシング、メディア研究、ノイズ、PCM、MIDI規格、DAWDTM、ソフトウェア、MP3、フォーマット、ストリーミング、ダウンロード、インターネット、プラットフォーム、メタメディウム
ジャンル 輪島裕介 生産、流通、受容、規則、美的価値、オーディエンスの期待、流動性、多層性、前衛的、シーン基盤、産業基盤、伝統主義的、境界確定、越境、西洋中心主義、文化的覇権、集団的属性、アイデンティティ、真正性、録音商品、外国音楽、アルゴリズム
増田聡 ローレンス・レッシグ、美的社会的イデオロギー、文化産業、音楽市場、メデイア、テクノロジー、検閲、風営法、社会規制、文化振興、教育制度、審級、著作権法、編曲権、同一性保持権、ベルヌ条約、音楽メディア観
文字 大嶌徹 広告、カタログ、批評、ユーザーコメント、ビクター、音楽の商品化、音楽の情報化、ディスコグラフィー、ファンジン、音楽雑誌、あらえびす、新しい知識人、匿名の言説
放送 福永健一 ラジオ・スター、商業放送、芸能、スポンサー(広告主)、ポピュラリティ、クルーナー、国民的アイドル、間メディア性、マルチ・タレント、メディア・ミックス、タイ・アップ、アイドル、タレント、芸能人、ディスク・ジョッキー、トップ40
映像 溝尻真也 映画、テレビ、ビデオ、ジャズ・シンガーエルヴィス・プレスリーザ・ビートルズ、ニューウェイヴ、ミュージック・ビデオ (MV)、MTV、YouTubeニコニコ動画TikTok
場所 永井純一 グローバリゼーション、ローカリゼーション、ライヴ、空間、場所、モビリティ、ミュージック・ツーリズム、フェスティヴァル、スタジアム・アリーナ、ライヴハウス、サウス・バイ・サウス・ウエスト、クリエイティブ・クラス、ジェントリフィケーション
身体/パフォーマンス 上岡磨奈 エンターテインメント、身体、ダンス、衣装、メイク、小道具、演劇、交流、関係性、振付、パーソナリティ、感情商品、感情労働、労働、生活、職業達成
聴衆/ファン 大尾侑子 ミュージッキング、クリストファー・スモール、ヘンリー・ジェンキンス、ド・セルトー、密猟、解釈共同体、参加型文化、ファン労働、フェミニズム批評、ファンガール、グルーピー、シッパー、ファンダム、ファンベース、デジタル・ファンダム
楽曲 川本聡胤 メロディ、コード、リズム、第一次テキスト、サウンド、音形、コードトーン、コール&レスポンス、循環コード、ハーモニックリズム、トラック運転手の転調、ノリ、ビート、ポリリズム間テクスト性
感情 源河亨 表出的性質、喚起説、表出説、類似説、ベルソナ説、超人化、感情の学、セオドア・グレイシック、ピーター・キヴィー、ステイーヴン・デイヴィス、ジエロルド・レヴィンソン
ビデオゲーム 尾鼻崇 PSG音源、FM音源、ゲーム機内蔵音源、ストリーミング再生、PCM音源、半導体式カートリッジ、CD–ROM、非線形的メディア、インタラクティヴ・ミュージック、遷移、ファンカルチャー、チップチューン
ファッション 藤嶋陽子 ジャンル、趣味嗜好、SNS、量産型、シグナル、コミュニティ、差異化、同一化、Instagramマーケティング、「っぽさ」
アニメ 山崎晶 劇伴音楽、BGM、アニメ・ソング、声優アイドル、子供、キャラクター・ソング、製作委員会、コンテンツビジネス、版権ビジネス
スポーツ 有國昭弘 ポピュラー音楽の越境、真正性、場(フィールド)、ヒップホップ、本質主義、ストリートダンス、ブレイクダンス、オリンピック、制度化、ダンスする/スポーツする身体、再現性/非再現性、アウラカルチュラル・スタディーズ
アーカイヴ/ミュージアム 村田麻里子 アーカイヴ、ミュージアム文化遺産化、正典化、階級、収集、保存、展示、キュレーション、展示技法
シティ 加藤賢 アテネ憲章、都市的生活様式(アーバニズム)、集積の経済、音楽的装置、東京一極集中、地域性(ローカリティ)、真正性、空間の生産、場所、空間感覚、シティポップ、シーン、創造都市、ジェントリフィケーション、聖地、サラ・コーエン、都市再生、渋谷系ブランディングアメリカ大都市の死と生
アジア 金悠進 ワールドミュージック、シティポップ、都会派ポップ、インドネシア、他者、西洋、非西洋、中村とうよう、エキゾチシズム、オリエンタリズム、ダンドウット、日本、洋楽、ポップ・クレアティフ
プログラミング 松浦知也 コンピューター、ソフトウェア、MUSIC、Max、UGen、ユーザー、分業、ライヴコーディング、ミュージッキング、インフラストラクチャ
クィア ジョンソン・エイドリエン・レネー LGBT、性別、ジェンダー性役割脱構築セクシュアリティアイデンティティ流動性、柔軟性、パフォーマンス、ヴィジュアル系、ファン行動、ペルソナ
マチュアリズム ヴィニットポン ルジラット(石川ルジラット) マチュア、プロフェッショナル、営利目的、スキル、他者の期待、インターネット、ウェブ2・0、YouTubeニコニコ動画、オンライン・プラットフオーム、ボーカロイド初音ミク、歌い手、歌ってみた、コラボレーション、YouTuber、職業

感想

音MAD/YTPMVに関する記述はなく、また《インターネット民芸》という語も登場しない。 ポピュラー音楽研究のさらなる進展を祈る。

新たな知識人

学問的知識を駆使するなどして、正統文化以前の文化に情熱を注ぐ小市民を、ピエール・ブルデューは《新たな知識人》と呼んだらしい。 マイナー文化やサブ文化を批評し価値付けを行う高学歴の人々を、この意味で新たな知識人であるということができる。

音MAD/YTPMV研究に楽理は必要か?

ポピュラー音楽の分野でも、P. Tagg らによって楽理の不必要性は喧伝されてきたらしい。 というのも、社会学の上に建設されたポピュラー音楽は、その社会学性によって外在主義的立場を取るからである。

www.academia.edu

前掲論文の著者である川本によれば、楽理的ポピュラー音楽研究は、コード進行等の音楽的特徴に関するコーパス的(統計的)研究も視野に入れているらしく、音楽情報処理とオーバーラップするところがある。

音MAD/YTPMV研究に楽理は必要か

音MAD/YTPMVがポピュラー音楽という範疇に入るかは今後の音MAD/YTPMV研究の成果次第という気がするが、仮に入ったとして、ポピュラー音楽研究と同じように楽理的研究を不必要とするのだろうか。 音MAD/YTPMVの特性を鑑みると、楽理はあまり役に立たないのではないかと私自身は思っている。 というのも先述した論文で示した通り、音MAD/YTPMVの特性は音色の自由性やそれが基因する間テクスト性等になるだろうからである。 音MAD/YTPMV作品の楽理的な分析は必然的に原曲の分析となってしまい、音MAD/YTPMV自体に関する分析とはならないと思われる。

ただし音色が特徴であるのであれば、逆に音色に関する研究はありうるとは思う。 たとえば、音MAD/YTPMVで頻用される音色(たとえば、ドナルド・マクドナルドの「ランランルー」の部分「ラン」など)の波形が、西洋古典音楽のどの楽器の音色に類似するかといった研究はありうる。

二次創作界のファンダム理論の難しさ?

二次創作界のファンダム理論の難しさというより、R. Barthes の〈作者の死〉概念であれ、John Fiske の〈解釈共同体〉概念であれ、Stuart Hall の〈能動的な脱コード化〉概念であれ、Michel de Certeau の〈テクスト密猟〉 概念であれ、Henry Jenkins の〈参加型文化〉概念であれ、全てが作者(テクスト)/読者の二項間の概念なのである。 したがって、作者が読者に、読者が作者に、読者が複数の作者群のひとりになったりする、アクターの役割が流動的かつ多重的な二次創作界を考えるには、これらを規矩準縄として当てはめるだけでは不適当なのだ。