タイトルはややミスリーディングである。哲学をすることじたい(観想であれ、何であれ)は、大学に属していなくても行うことができるからだ。
ここで言いたいのはそういうことではなく、哲学の論文を書くことが大学に属していなければ難しいと言っているのである。哲学の論文を書くためには、引用元や議論の端緒とするための論文を読まなければならない。たとえば、Synthese や Philosophy Compass である。さらに、論文媒体でなくとも、書籍も読まなくてはならない(だが、書籍についてはそこまで気にする必要がないかもしれない)。これらの文献は、一般人が入手することができるものではない。なぜなら、あまりにも高額であるためだ。論文1本に数千円はざらであり、書籍に至っては1冊数万円の世界である。私たちは、これらを利用するために、大学という共同体に属し、アクセスのための費用を国などの機関と分担しているのである。
大学によっては、卒業後も論文にアクセス権を与えてくれる大学もあるかもしれない。だがそうだとしても、大学に属していることは当然のこととされているのである。そのため、大学に属していない独立研究者が優れた研究を行うことは、制度上困難である。これを良いことと捉えるか否かはまったく分からないが、少なくとも、ジャーナルが求める規準の論文を書くためには、大きな足枷であることは間違いがない。
大学に属しているということは、本人の個人的能力以上に、それだけの社会的な下駄を履かせてもらっているということなのである。