混成芸術研究所

混成芸術の構造主義的研究

メモ

だがそれにしても、表示部(記号)と内容部がラングを構成するというのがソシュールの主張なわけだが、これをコンテンツに拡張する

 

コンテンツを辞項に対応させるために、楽項や像項等の用語を用意したが、そもそもこのような区分が妥当なのかは不明である。

 

意味=関係により定まるもの

元の意味が所与であるとされているが、それを獲得するための過程があるはずで、(つまり、元が関係を構築する過程が存在する)本来は全て意味においては没価値的であったと思われる。そして、元に関係を与えるものは体系がそれを大きく決定する形式である。楽像項において、むしろ意味というよりは形式が体系を組織するように思われる。ここが大きく言語学と異なる

 

修正要

そもそも表示部を記号とすることがおかしい

項目内における記号相関物としての結合関係について

過日の記事『形式と元について』に述べた「項目内に生じる結合関係」について、以下の文章を紹介する。

ここで、商品のバッグは、それと形象的に対をなす記号相関物としてのシニフィアン(貝殻、石、植物)に結びつけられることによって、絵の中のさまざまな形象と結合関係(連辞的関係)の中に導き入れられています。そして、そのような形象として導き入れられた画面の構図が、カンディンスキーを想わせる絵画の引用となっている。この引用を通して、芸術性のコノテーションが成立しているわけです。*1

「項目内に生じる結合関係」の本質は、連辞関係であった。同項目内で認識されることにより、要素群は互いに連辞関係を結び、固有の意味作用を生み出す。そして、これらの意味体験がプロトタイプとして、要素の意味内容に入り込んでくるということであろう。

*1:石田英敬記号論講義 日常生活批判のためのレッスン』(筑摩書房、2020年)、280頁。

形式と元について

*自己満足的なメモです

 

ある項目に属する複数の元が他の項目と共有されるとき、その間には連辞関係が存在する。

 

ある集合(階層は問わない。それは項目かもしれないし、シリーズかもしれない)に異なる元が存在するとき、その間に結合が生じる。(ただ、これが体系なのか範列関係なのかはよく分からない)

まさしくこれは、形式が内容(ここでは元であり、内容は元を含む)間の(結合?)関係を生む例ではないか?

これを構造主義と呼ぶのかは明らかではないが、そもそも本来元はふよふよとした存在で、その意味を決定するのは差異である。(ここで、実質の差異は所与であるため、実質は付与付与していない)それが、ある集合に包含された瞬間、(形式に閉じ込められた瞬間)体系を生ずるのである。

ここで私は、次の公理を提唱したい。

元の間の関係はそれらを含む形式と同時に生じる。

ここで言っているのは、静的な関係ではなく、動的な関係の第一段階がここで生まれるということである。

もちろん、この後は様々な連辞関係を生んでいくだろう。

 

追記

上を意味過程説と呼ぶことにする。

Iφで、元から備わっているもの、すなわち項目でいかなる関係を作る前に備わっていた意味を、一次的意味と呼ぶ。その後に生む関係は、すなわち意味であるが、それらを二次的意味(関係的意味)と呼ぶ。

 

追記

項の意味とは即ち連合内の関係であって、それはある項目内に項対が含まれる時点に生じる。絶対的意味(一次的意味)は形式に単射であるが、相対的意味(二次的意味)は過程を経て増加し、無限である。これを意味過程説と呼ぶことにする。

 

の方がいいかな